<知っておきたいポイント>
- パリ植物園と自然史博物館は、パリの市民に人気のスポット。
- 植物園は1635年に誕生。ジャングルのある巨大な温室は1836年に建設。
- 画家アンリ・ルソーが描いたジャングルはここで生まれた。
パリでアートを愉しむといえば、市内に数ある美術館、アートセンターということになるだろう。しかし、パリは多くの画家や美術家が実際に暮らし、作品を描いたところ。そう、つまり彼らの作品のモチーフがたくさん残されている場所でもあるのだ。
世界的な芸術家たちにインスピレーションを与えてきた風景を巡る。それもパリのアートファンの愉しみになっているのはいうまでもない。
そんなスポットのひとつ、パリ5区にある「パリ植物園」と「自然史博物館」をご紹介しよう。
Jardin des Plantes パリ植物園 その歴史と見どころは?

パリ植物園(筆者撮影)
セーヌ川にもほど近い、オステルリッツ駅のすぐとなりにある「パリ植物園」。全体の面積がなんと約23.5haもあって、これは東京で言うなら日比谷公園の約1.4倍にあたる。
創設したのは太陽王・ルイ14世のお父さんであるルイ13世。1635年、その勅命によって「王立薬用植物園」が誕生した。その名の通り、当初は薬草の研究をしていたようだが、のちに動植物など自然全体が研究の対象となって、フランス革命後の1793年に、「自然史博物館」もとなりに誕生した。
この植物園の見どころは、一面に広がる緑、季節ごとに移ろう花や植物、そしてなんといっても熱帯の植物が生い茂った巨大な温室だ。

ニューカレドニア温室(筆者撮影)
この温室に通ったのが、日本でも有名な画家、アンリ・ルソーだった。「税関吏ルソー」と呼ばれるだけあって、ほんとうにパリ税関の職員だった彼が仕事の余暇に描いていた絵は、当時あまり評価されなかったけれど、誰にも真似のできない独創的なタッチ、幻想的なモチーフでのちの世に評価され、いまでは日本をはじめ世界中にファンがいるのはご存じの通りだ。
そのルソーは、熱帯のジャングルを何度も描いた。オルセー美術館所蔵の『蛇使いの女』、ニューヨークMOMAに所蔵される『夢』は、その最高傑作だ。

アンリ・ルソー 『蛇使いの女』 Henri Rousseau, dit le Douanier (1844-1910) La Charmeuse de serpents 1907 Huile sur toile, Musée d’Orsay
ジャングルを見たことがなかったアンリ・ルソー。
ジャングルを知らなかった当時の人々にとってもこれは新鮮でミステリアスな表現だった。「こんな世界が地球上にあるなんて」。でも実はアンリ・ルソーがジャングルへ行ったことは一度もない。
その代わりにルソーが通ったのが、ここパリ植物園だった。

ニューカレドニア温室(筆者撮影)
いま「ニューカレドニア温室」と名づけられる温室は1836年に建設され、当時は「オリエンタル館」と呼ばれた。アンリ・ルソーは1844年生まれだから、もうその時には温室が存在していたことになる。
彼はここにやってきては他の植物園や庭園では見られない植物を念入りにスケッチ。足りない部分は新聞などに掲載される実際のジャングルの写真や挿絵を見て、彼のタブローのあのイメージを描いたという。もちろん、夢想家だったといわれる彼の想像力が、まるで現地調査に行ったかのような豊かな表現を可能にしたことは言うまでもない。

ニューカレドニア温室(筆者撮影)
アンリ・ルソーの絵にはご存じの通り、彼が見たことのない世界の動物も描かれている。そしてこの温室には動物はいない。
実は、彼が動物を見たのはこの植物園の中にある「自然史博物館」だと言われている。そう、彼はパリのこの一角で見た風景だけであの美しい世界観をモノにしたのだ。
ルソーを夢中にし、今もフランス人たちを魅了する「自然史博物館」については、また別の記事でご紹介することとしよう。
パリ植物園の住所や行き方、アクセス
パリ植物園 Jardin des Plantes
57 Rue Cuvier, 75005 Paris
植物園の入園は無料。主な入口は、セーヌ川に近いオステルリッツ駅側とその反対側となるモスケ・ド・パリ側にある。
<アクセス>
メトロ5号線・10号線 「Austerlitz オステルリッツ」駅から徒歩
出口表示で「MUSEUM」または「Jardin des Plantes」を目印に出口へ